古着回収をおこなう業者のヤード
現代の日本では、家庭で不要になった服の7割弱がそのまま廃棄され、3割ほどが再び古着として利用されているそうです。この古着は、国内でも再利用されますが、多くがアジア各国へ輸出されています。輸入国では安価な衣類が手に入り、輸出する日本側は利益を得て処分できるグローバルなリユースが経済の仕組みの中で達成されているわけです。
しかし、この仕組みは長い目で見れば上手くいかないかもしれません。今の輸入国もいつまでも輸入国ではないだろうからです。すると世界的に生産量が増え捨てられる量も増えるでしょう。持続可能なやり方ではありません。ではどんな方法があるのでしょうか。
ヒントは江戸時代に
江戸にはそれなりの衣類の流通システムがありましたが、それは衣類を大量に流通させて、結果として廃棄されるものをも増やしてしまうという方向では発達しませんでした。
絵は「江戸名所図会」に描かれた神田川の柳原(現在の千代田区岩本町付近)の土手周辺の様子です。画面下の道沿いに軒を連ねる床見世の多くは古着屋です。主に行商人相手だったと云われます。もちろん小売りも兼ね、買取りもしたでしょう。多くの江戸の住人にとって着物とは古着の事でした。
これとは対照的に、新品の着物、反物を扱う呉服屋さんは一等地の日本橋などに店を構えます。確かに高級そうな店構えです。描かれているのは三井越後屋、今の三越ですね。呉服というのは絹のことで、ここで着物を誂えるのはお金持ちです。
では庶民はと云うと、江戸時代以前は主に麻を着ていましたが、江戸時代に入ると木綿が急速に普及し始めます。庶民の普段着が麻から木綿へ大きく移り変わった時代だったのです。木綿は呉服に対して太物といい、これも専門の問屋街がありました。絵は大伝馬町木綿店(だな)界隈です。
というわけで、江戸の着物の流通は、まず新しい布を扱う呉服・太物屋があり、次に多くの古着屋があり、さらに町々を行商人が巡りました。主流は古着で、リユースが徹底された社会ですが、それだけではありません。
出典:「続江戸名所図会を読む」川田壽(東京堂出版)
「江戸名所図会を読む」川田壽(東京堂出版)
「江戸」衣のサステナビリティ②に続く